明日のいいことも昨日の夕立も

朝から一人、しばじゅん祭りをしていた。なんてことはない、ただ出掛ける準備をしながらしばじゅんを聴き、そしてそれに合わせてたまに口ずさんでみるだけだ。いつだったかそればかりしか歌わない時期があったことを思い出しながら。
二小節。たった二小節を彼女になぞらえて歌った私は泣いたのだ。それもものすごく自然に、さらりと。感情が昂る予兆なんかなく。三小節、四小節と続く間も私は泣いていた。歌うことをやめた途端に涙は止まったし、後を引くこともない。ただなぜ私は泣いてしまったんだろうとそれだけが胸の中に一日中残った。
この間はたった二ページのエッセイに泣かされた。子供を抱えながらの仕事はいつまでたっても半人前扱い、子供の行動は予測不可能、自分が抱えるストレスを家庭に持ち込み子供にチクリと文句を言ってしまいそうになる、といった葛藤から自分の心を立て直す話。だめだとわかっているのにじわりじわりと心を黒いものに覆われていく様が淡々と書かれていたけど、それとは裏腹に加速度がついて心が走ってしまった。

愛してる人に愛されたかっただけなのに、と嘆くような恋愛もしていないし、この子は何も悪くないのに、と申し訳なさが募る子供がいるわけじゃない。でもその先にあるものを想像できてしまう経験則からきっと涙は容易に流れるんだろうと思った。

歳取ると涙脆くなるね、というよくある話。