残された日々の短さ、と歌われるとどうにもこうにも

断るって難しい。苦手だ。その後も申し訳ない気持ちが続くしそれを告げた時の悲しそうな表情は焼きついたまんまだし、本当に溜め息しか出ない。でも解放されたことの心地よさは確実にあって伸びをしながら声を出したい清々しさに、また気の毒さが蘇るのである。

人を傷つけるのは人であっても救うのも人で、いろんな感情と言葉に折り合いをつけながらなんとか生きてるけど、昨日は言葉を交わせてよかったと思えた日だった。

誰を、何を、誰のどんな気持ちを大切にするべきなのか明確にわかったような気がするし、大切にしたいと思えたし、掴めずにするりと滑って撫でることしかできないあの感覚は自分を傷つけるだけだと理解してるし、しっかりと選択すべき時が来たのだ。

昨日初めて会った人に「昔の彼女に似てる」とものすごく興奮した様子で言われた。携帯の中にある画像まで見せられたんだけどそこには肥満の中年女性がいて、他人から見た自分を改めて知る。どう見ても45歳くらいにしか見えなかったけど、歳も私と変わらないらしい。きっと愛してたんだろうと思った。だってお世辞にもスタイルがいいと言えない美人とも言えないその人が、有名な場所でもなさそうな何の変哲もない木陰に佇んでる様子が収められている。それを別れて4年経った今も取ってある。私を見つめるその人の目があまりにも優しくて、懐かしんでるのがすごく伝わってきたからどうも照れ臭かった。何年か一緒にいたらしいから、二人の間にいろんなドラマもあったんだろうな。

帰り道にマンションのエントランスで抱き合ってキスをするカップルを見かけた。いくつか訊きたいことがある。二人はただの恋人同士なのか(夫婦ではないと思っている)、どのくらいの頻度で会ってるのか、なぜキスしようと思ったのか、キスをされてどんな気持ちだったのか。純粋に興味があるけどこういうことは一生質問できる機会が無さそうなので悔しい。私はその瞬間の、熱があるままのリアルな気持ちを突撃して知りたいのに。

最近家に帰る前の一瞬に、所在ない寂しさを感じる。金木犀の香りがし始めたからかもしれない。所在なさを伝えてみるとその寂しさを大切そうに箱にしまってリボンをかけてくれて、たちまち立派な居場所にしてくれたので言ってみるもんだと思った。

もっとちゃんと向き合わなくては。