Q&A

問いをまず生む、というのが大事なんだと実感する。

なんとなくモヤモヤすることとか引っかかってることとか、納得のいかないことがあったとしても、そう感じてる自分を直視したくないせいかそのままぎゅうぎゅう押し込んでることって多分いっぱいあるよね。

私かれこれ2ヶ月間くらい瞼の痙攣が治らなくて、こんなこと初めてだったから気になってしょうがない日々。調べても睡眠不足とかストレスとか書かれてて、最早瞼がビクビクすることがストレスなんですけど!って思う。

でも多分、ストレスって自分で気づかないようなことの方が多いんじゃないかなって話をこの間友達としてきた。今ストレス感じてるなって自分でわかる?って。友達は仕事が忙しい時期はなんとなくストレスに気付くって言ってたけど、私は私をわかってあげられていないのかもしれない。何がストレスなのか身近なもの一個ずつ断って検証するしかないんじゃない?って言われてやっと最近の自分についてよく考えてみた。アレルギーみたいに好きなのになぁと思ってても体(この場合心か)が受け付けないっていうパターンもあるんだろうな。結局一つずつ断つってことはしなかったけど、早く寝てみるとか目を酷使しないとか、そういうことは試してみた。変化なしだったけど。

でも今現在痙攣がマシになってる!ということにさっき気付いた!嬉しいー!

何がよかったのかなって振り返ってみたけど、今自分の中にあるもの全てを出しきるくらい人と会話したのが良かったのかもしれない。本当に話したいこととか大事なことって、連絡事項とか近況報告とか、全部伝えた後もう何もないなって思ってからやっと絞り出される気がする。私はね。だから日々のなんでもない話さえできてないといつまで経ってもそこに行き着かない。

この間、友達の一言に違和感を覚えたのだ。でも私はそれに気づかないふりをした。

引っかかる自分、を自分で否定したのだ。そりゃ可哀想だ。ストレスだわ。

いろんな話をしてる中でその時の話に行き着いて流れで「こんなことがあったんだけどどう思う?」って聞いたんだけど、そうやって話すことで初めて私は何にむっとしたのか、なんでその言葉に納得できなかったのか、彼女はなぜそういう考えに至ったのか、そういったいろんな問いかけを自分自身にすることができた。問いかけがないと答えが出るわけもなく、私はただただ今まで問いのない答えを出そうと歯痒い思いをしていたのだ。

これは今回に限ったことではなくて、普段の生活でこういうことが多いんだろうな。

自分の導き方が下手くそ。

この数ヶ月、友達に会って話すことも電話することも極端に少ない時期だったから、普段は誰かに話しながら問いと答えを自然に導き出せてたものが一人では上手くできなくてこうなったんじゃないかという自己分析。

知らんぷりはよくないね。まずは自分のことだよ。人に話せなくても自分のことは一人でできるようにちゃんと練習しないと。

自分の正直な気持ちを話すって結構リスキーで、実際私がその話をした時も嫌なところ見せちゃってごめんなさい、と思ったし言わなくてもいいような嫌な話しちゃったなぁって早速後悔したんだけど物事をフラットな目で見れる人でよかった。

 

つまり、助けられて生きてます。