羊と鋼の森/宮下奈都

ピアノの調律師を目指す人の話だった。「線は、僕を描く」にすごく似てる。雰囲気が。

何かに出会ってそれに取り憑かれたように夢中に目指して、練習して勉強して、苦悩して、でも憧れるものに向かってひたすら一生懸命っていう。静かな情熱が書かれてる。

 

一番好きなシーンはp188の「わがままだなあ」です。主人公の外村くんが先輩と一緒にあるお宅へ調律しに行くんだけど、部屋には防音カーテンが二重に掛けられている。もちろん防音している状態と、それを取っ払った時の音の響きは全く違うから、彼は昼間だし開けてもいいのでは?って思って開ける。でも先輩は、普段はそのカーテンが閉められてるわけだから、同じ環境で調律したい。「閉めて」「でももったいないです」からの「わがままだなあ」です。

その後もう一回閉める、開けるの攻防があって「こどもかよ」って笑われるのもとてもいい。彼は今まで何かにわがままになったことも、こどもみたいな振る舞いもせずに生きていたからはっとするのよね。今までは通したいほどの我がなかったって。ほとんどのことに対してどうでもいいと思ってきたって。

わがままになれるこだわりがあるのも幸せなことなのかもしれない。

 

私も子供の頃調律に来てもらうとそれを少し離れたところがじっと見るタイプの子で、見られてる方は嫌やったやろなぁ…となんとなく思う。何をやってるのかはさっぱりわからないんだけど、でも私の大切なピアノを開けて何か作業をしているというのは子供ながらにある意味「見張り」が必要でもあって、あとは単純な興味。何をして何が良くなって、調律の後は気持ちよく弾けるんだろうっていう。

 

子供の頃は耳が良かったからよく「おかあさーん、ピアノの音おかしくなってきたー」って言ってたらしい。そしたら「あーそろそろちょうど調律に来てもらう時期やわ」ってなことに毎回なってたとか。うちにあったピアノは私が大人になってから売られてしまったけど(弾かないし仕方ないと言えば仕方ないけど寂しい)、どこかのお家で誰かに弾いてもらえてるかしら…。とぼんやり考えたりする。思えば子供ながらに大事にしてたなぁ。ダスキンでしょっちゅう拭いてたなぁ。ダスキン懐かし!