ポイズンドーター・ホーリーマザー/湊かなえ

2020年も本は何冊か読んだのに全然感想文書けなかった!だけど今年はやるぞ!ちゃんとアウトプットするぞ!

 

この前に読んだのが角田光代さんの「おやすみ、こわい夢を見ないように」だったんだけど、完全にタイトル買いした私は見事に裏切られてしまったのでした(それも悪くはない)。

穏やかな子守唄みたいな本かと思いきや、なんだか憎悪渦巻く話だった。多分。

で、この本もみんな誰かを殺したいと思ったり憎んだり、ちょっと落ち着いてー!?って感じだったんだけど、視点が変われば感じ方が違うっていうあれが凝縮されてた。

 

あーこれは毒親ですわ…って思いながら読んでたものも、いや、そうなのか…?って思い始めるとそうじゃなくなる。娘の立場に立った時に感じる理不尽さもわかるけど、自分が母親だったら、と考えると様々なアクシデントはなるべく回避したいわけで、娘を守ろうと思うと結果そういう振る舞いになるのも致し方ない気がする。難しいよねぇ。

 

たとえば私に娘がいたとして、その子が10代のうちに「海外旅行に行きたい!」なんて言い出したら私は多分渋ると思う。国内にしといたらー?とかもうちょっと大人になってからにしなー?とか。実際は国内も海外も変わらないのかもしれないけど、未知は怖い。でも私の怖さを押し付けるのはエゴでしかないのよねぇ。

でもこれがよその子だったら「いいやんいいやん!見たことないもの見て感じて、いっぱい吸収しといでー」ってなもんよ。なんてポジティブ。でも娘が本当はそういう言葉を待ってるわけでしょ。これが愛してるからこそ背中押してあげられないのって複雑だわ。だって危ない目に遭ったらどうするの!向こうで困った時誰が助けてくれるの!?そういう不安要素をできるだけ取り除いた世界で育てたい。というか生きてほしい。だめねぇ。自分でも思う。だからこういうタイプは本当に子育てに向いてない。と、私は結論づけたわけです。でも守ることも親の役目だしなぁ。間違ってるわけではないよね。好きに伸び伸びさせてあげることも教育の一環かもしれないけど、その判断が未熟なのが子供であって、だからこそ守られる存在なわけでしょ。だから大人になった時「お母さんは何も好きにさせてくれなかったな」とか「私がすることに賛成してくれなかった」とか思わせることもあるよね、きっと。ごめんねぇー!

大人になればわかる、とか自分も親になればわかるってよく言うけど、親になってない私にもなんとなくわかるよ。歳は取ってるから。

まぁそんな話よ。雑か。

 

あと「優しい人」っていう話の中に私みたいな子が出てきた。これなんて言えばいいんだろう…。子供の頃からそうだったけど、「いろんな種類があるものの中から一つずつ好きなものを選んでね」っていうシチュエーションで、他の子に遅れて好きなものを取れなくて泣く子っているじゃない。いや、泣かなくてもいいんだけど。「あっちがよかったー」みたいな。私はそういう子に自分の持ってるものを差し出すのが全く苦ではない。そこまでこだわりがあるならどうぞって。その子が持ってるものと私が持ってるものを比べた時に私が持ってるものの方が少しでも羨ましいと思うなら譲ることができる。それは、私も私が持ってるものの方がいい、と思ってても。でもこれは、私が長い人生の中の一回の選択を我慢すればその子が「ぎゃー!やだー!」ってなるのが収まるならその方がいいっていう自分なりの解決策なのかもしれない。子供の頃はそこまで考えたことなかったけど。だから他の子が嫌がるようなこと、たとえば委員長をやるとか何かの世話係をするとかも「なんで私が…」って思ったことなかった。常に「あ、はい」だった。

でもこれって「絶対そっちがいい!これやだ!」とか「そんなめんどくさいことしたくない!」っていう強い意思(?)がある人からすると、すごく優しい人に映るらしい。なんで交換してくれるの…?神じゃん…みたいな。

私は自分が思ってるより遥かに穏便に生きたい人らしい。

 

だからこそ、自分と同じような人に出会った時や、私に何かを譲ってくれる人にすごく感動する。

思えば私の父はそういう人だ。「これ美味しい」って私が言うと「お父さんのも食べ」って自分の分までくれる。お父さんに似たのか、私。

 

分け合うって素敵なことだなぁ。散々うろうろして着地点ここかい。