豆の上で眠る/湊かなえ

幼い頃に姉が行方不明になっちゃうんだけど二年後に帰ってきて、家族が喜ぶ中妹だけはこれ誰?ってなる話。

私このお姉ちゃん好きだなぁ。夜寝る前、妹にいつも絵本を読み聞かせるんだけど次の日になると感想を求めるっていうエピソードがあってね。妹は物語が終わる頃には寝ちゃってるから大したことも言えなくて、〜だったからよかった、とか、〜だったから可哀想、みたいな奥深さのない感想を言うんだけど、お姉ちゃんは「わたしもそう思う」って笑顔で言ってくれるの。私はときめきに近い感情を覚えてしまった。あぁ、いいなって。この人好きだなって。

「物語の登場人物って、いい人も悪い人も、おもしろいよね」とも言うんだけど、もうこのセリフで鷲掴みですよ。好き!お姉さん、好きです!まぁ当時姉妹はまだ小学生なんだけど。

このセリフが肝なんじゃないかと思う。いい人も悪い人もおもしろい。

この間テレビでやってた三度目の殺人を観たんだけど、レビューを見たらすっきりしてない人が多くいた。結局誰が殺したのかとかなんでそうしたのかが描かれるものと思って観てた人たちにとってはそうなるのも無理ない。私もそこを待ってたからエンドロール流れた瞬間「え!終わった!」って思った。でもそれを省いてあるということは本質はそこじゃないわけよね。この話も多分終わり方的にはすっきりしなくて、なんだったの?とかどう思ってるの?とか釈然としない部分がみんなにあると思うんだけど(物語の中の人も読者も)、結局はみんなおもしろいよね、でまとめることができる。

妹にとってはお姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなくなった戸惑いがあるけど、お姉ちゃんはどんな気持ちだったんだろう。この物語は誰の立場で考えるかで見方もいろいろ変わってくるんだろうけど、途中でお母さんがいなくなった万佑子ちゃん(姉)を探すために結衣子ちゃん(妹)に割とクレイジーなことをやらせたりクレイジーな行動をとってたけど私は理解できる。というか納得できる。結衣子ちゃんの立場になれば彼女の気持ちを放ったらかして万佑子ちゃんのことに必死になりすぎている母、なんだろうけど、娘がいなくなってるわけだから。クレイジーになって当たり前よね。もちろんそれでももっと結衣子ちゃんへのフォローもすべき!って思うかもしれないけど、娘いなくなってるから。結衣子ちゃんも娘じゃん!って思うだろうけど結衣子ちゃんはそこにいるから。万佑子ちゃんはいなくなったから。と思うと寧ろ私はあのお母さんに勇ましささえ感じる。私には多分できない。

この本の中でもう一つ好きなところがあった。

姉妹が遊びの延長で両親の寝室に入ったことを大切なものをしまってあるから勝手に入ったらだめって叱られるんだけど、大切なものって何?って聞いたらちゃんと部屋の中に入れて宝石を見せながら説明するシーン。これはお父さんにもらった婚約指輪で、とかちゃんとその思い入れを伝えることとその輝きを目の当たりにしたことできっと姉妹は大切さを理解しただろうし、めんどくさがらずに見せながら伝えるのっていいなぁ、愛だなぁ。

ちなみにこの本のタイトルの元になってる「えんどうまめの上にねたおひめさま」は子供の頃好きだった。

身なりはお姫さまとはいえないような少女が私はお姫さまですっていうもんだから、お后さまがそれを確かめようと一粒の豆の上に布団を何枚も重ねて、その上で寝かせて違和感に気づけるかどうかをテストするっていう話。見事に少女は背中に何かが当たって痛かった、みたいなことを言うんだけど、小さい頃の私は「ほう……」ってそれに憧れたわけです。そういうのんに気づけるのってすごない?私ももしかしたらお姫さまかもしれん…誰かテストしてくれへんかなー気づきたいなーって。顔がものすごく可愛いですねって褒められるより、あんな小さな豆粒の違和感に気づけるなんて!って言われた方がよっぽど嬉しいっていう感性は多分その頃から変わってない。

でもそれが気づかなければよかったって場合もあるんだろうね、きっと。